応答セヨ
男とか女とかどうでもいい。
ほんまどうでもええねん。
自分が女である必要性を感じたことがない。
なんで男じゃないねんと嘆いたことは数知れず。
っつーかどっちでもいい。
むしろ何でもいい。
どっちにも属さんでもいい。
といったきっと非健全な考えを
この20年以上ずっと抱いている。
子供時代の育てられ方に若干問題があるような気もするが、
育ってしまったものは今さら嘆いても致し方ない。
生まれてきた以上
何があっても生きていくしかないのだ。
「人はいつだって変われる」
とは言うけれど、
そうそう簡単には変われへん
とも思う。
私の場合、
何かが必要。
命賭けれる「何か」
ただただそれを探して求めて生きている。
私のロマンはどこだ?
沈黙破った命削ったら
何でもやれるし死ぬ迄できる
死ぬ程やっても死んだりせえへん
死ぬ程やったら死んでもええねや
やったらええわやったらええ
そう歌う片山さんの唄を
ここ5日ずっと聴いている。
『生まれてはみたものの』
この曲から何かを感じるのに
それが何なのか、見えそうで見えへん。
あとちょっとのところで掴めへん。
だから今日もこうして聴くのだ。