トランペットと私の物語

トランペット。


私、トランペット吹きたい。





記憶を遡ってみれば
小学生の時にそう思ったんだった。
バービーボーイズのコンタさんを生で見て
なんちゅうかっこいい人なんや!と思ったわけ。
あのサックスとハイトーンハスキーボイス!!
衝     撃。
なのに
サックスじゃなくてトランペットを吹きたいと思った私。
やっぱどっかひねくれてる。



しかし、
いかんせん住んでるところが岐阜県の端っこ、ズバリ三重と滋賀の狭間。
習い事っちゃピアノにエレクトーン、お琴にお習字、そしてそろばんが関の山。
庶民派の私、
親に頼んでピアノとそろばんに通う。
20年前の私がめきめき(中途半端な)才能を発揮したのはそろばんの方だった。
県大会で商業高校の生徒を差し置いて上位入賞をかっさらう小学生。
あれよあれよと段位保持者に。
ピアノは先生のヒステリーが私に「面白くねぇ」と思わせたのか、
小6ツェルニーで終了。
今、実家のピアノは調律の狂った物置として利用されている。



小学校で私はローラースケート部、中学校でバスケ部。
そう、
コンビニもスーパーもない、
信号すらもほとんどない、
町の面積の9割が山という我が町に
吹奏楽部なんてもんがあるはずがない。
ちなみに小中ともに陸上部すらない。
郡の陸上大会前になると
野球部・サッカー部・剣道部・バレー部・バスケ部・ソフトボール部・テニス部からの寄せ集めで即席陸上部が結成されるのだ。
私、小中ともに走り高跳びとリレー専門。
運動会・体育祭は裸足で走るタイプだったので、
スパイクとか持ってませんでしたが
自分の身長のバーを越える快感を知り、
I can fly!!と大きく勘違いしたまま陸上部への憧れを覚えた15の夜。



そんな山猿(のちの京都桃子)も高校生になるわけですが、
毎日30km近い距離を自転車で通学する私には
(我が町には電車が通ってない。近鉄もJRもわざわざ我が町を迂回。バスは2時間に1本、現在では半日に1本という噂)
なぜだか運動部しか目に入らず、
うっかり見学したが最後、
県でも有数の鬼のフェンシング部なんぞに入部いたしまして、
思いっきりド根性部活道が始まったのであります。
日々の自転車on山道と常に中腰のフェンシングで鍛えられる太腿部。
スリムパンツは私の敵。
ブラスバンド部(吹奏楽部やったか?)は町の中学出身のハイソな経験者で固められており、
山猿には入る隙がなかったのだ。(単に運動バカの眼中になかっただけ)
そんな高校時代、
初めて組んだバンドでみんなが避けたドラムに納まる。
第一次ベース弾きたい願望叶わず。(あれ?トランペットは??)



そんな太腿異常発達娘も大学に合格。
大学ではフェンシング部に顔がバレないように慎重に行動。
OBに遭遇したら最後、強制入部は免れない。
そんな難関を乗り越え、無事音楽系の部へ。
軽音楽系クラブは学内に3つあったのだが、
私が入った部にはスカバンドもなければ管楽器を演奏する人もいなかった。
うちの部はパンク色が前面に押し出され、(パーカー革ジャンボウズ率高め)
ほかの2つの部はスカ(妙におしゃれな人が多かった)、
そしてメタル&ハードロック(黒髪長髪の男子の宝庫)と
思いっきり各部の特徴が表れていたわけです。
真っ赤な髪+真っ赤なデニムで中国語を学ぶ私は
何の迷いもなくパンク部にふらりと入部し、
今も昔も変わらぬドラマー不足の中、
またしてもうっかりドラムを叩くことになり、(第二次ベース弾きたい願望叶わず)
いろいろ諸々ありまして、
〜ここから端折ること10年間ぐらい〜
今に至るというわけです。




あっ、
もしかしてみなさん特に興味なかったかしら?
京都桃子の歴史(の数ページ)。




でね、
トランペット。
トランペットが吹きたい。



もう私のストーリーは出来上がってる。



私、
トランペット吹きたい。





スクール調べたら一応いくつかあったんだけども、
なんと、どれもこれも土日の昼間!
仕事辞めないと通えないんですけどもー。。。
こんなサービス業従事者のために
トランペット個人レッスンしてくれる人求む!



っつか、
まずドラムスクール通えよって話なんだけど。