偉大なるマロニーに捧ぐ

大体の大人が秋になると挨拶のように口にする便利なコトバ、


「今度鍋しよー」



これは立派な季語である。
これまで数限りなく言われ、
自分でも何回かは口にした覚えがあるのだけれど、
実際に「今度」が来た例がない。
口にした分だけキッチリ鍋を囲んでいる大人は
果たしてどれぐらいいるのだろうか?





昨日のこと。



いきなり冬?!
ちょっ、まだ柿も栗も秋刀魚も何ひとつ味わってないんですけど
ストップザオータム!
と思わずカレンダー確認するぐらい寒かった。



今日はゴハンを作ってくれると言うので、
スーパーに買い物に行ったのだけど、
思わぬ雨と寒さのせいでもう心は鍋一色、
スーパーの一角に展開される鍋特集に惑わされることなく、
すでに鍋だった。
よって、
キムチ鍋に決定。



家に着き、いざ鍋の準備に取り掛かると、
長らくあったかい食事に飢えていた我々2人は
自宅で誰かと鍋をするという行為そのものに若干感動。


というより、
何でもないこの日常の光景にかなり感動。
私に至ってはもう何年も前にすっかり捨て去ったはずの光景。
目の前に立ち上る蒸気と湯気によって何かが溶けて解けた。
私、ずっと寂しかったんだと思う。
寂しいっていう感情そのものを封印するぐらい。
誰かを好きになるのにこんなに時間がかかるぐらい。
常に楽しいことだけ追いかけて
いつも予定を詰め込んで
絶えず自分を追い込んで
満たしてたはずの何かは
何ひとつ満たされてなかったんだと気がついた。
傷は決して消えることはない。
だけど、
癒える。



じっと見てたら「何?」
って訊かれたけど、
こんなことを考えてたのは秘密。






なんてことはどうだってよくって、
鍋の必需品、
それはマロニーと豆腐(絹)。
私、これだけは譲れない。譲らない。




あ、野菜切ったの、私ですけど、
準備から後片付けまで、私ですけど、
作ってくれようとしたっていう事実がうれしいのです。
みなさんお気づきのとおり、
桃子ったらここ数日すっかりどうかしちゃってますね。
でも、2、3年に1回ぐらい
どうかしちゃうぐらい誰かを好きになってもいいと思います。
なんつっても
今生きてることがいちばん大事だし。




私の秋はまだ3合め。
秋の味覚どんと来ーい。